父方

父方 Ащепков の家 ― ウラルの名字をたどる

エカテリンブルクにゆかりのある父方の名字 Ащепков(Ascepkova)。ロシア語の書き方、近い名字 Ощепков と同じ名の村、同じ名字の名の知られた人物から、家の起こりを探る手がかりを整理します。

編集部・2026年10月29日更新

この記事の表示:家族の証言推測二次資料表示の意味

家族の証言父方の家は、ロシアのスヴェルドロフスク州の州都エカテリンブルクにゆかりがあります。名字は Ascepkova(女性形)です。

名字の書き方

推測Ascepkova は、ロシア語の Ащепкова(男性形 Ащепков)をラテン文字で書いたものと考えられます(推測)。英語式に書くと Ashchepkova・Ashchepkov、ラトビア語の正式な書き方では Aščepkova・Aščepkovs となります。家に残る書類で、もとの書き方を確かめていきます。

近い名字 Ощепков と、ウラルの村

二次資料ロシアには、書き方の近い Ощепков(オシェプコフ)という名字があり、ウィキペディアのロシア語版には同じ名字の人物の一覧があります1。

二次資料スヴェルドロフスク州のレジェフスコイ地区には、Ощепково(オシェプコヴォ)という村があります。レジの町の北13キロ、レジ川の左岸にある村です2。

推測ロシアの名字には、村の名や祖先の呼び名から生まれたものが多くあります。Ащепков が Ощепков と同じ起こりか、この村と関係があるかは、まだ分かりません。ア(А)とオ(О)は、ロシア語の発音ではアクセントのない位置で同じように聞こえることがあり、書き方が揺れた可能性も考えられます(推測)。

同じ名字の名の知られた人物

二次資料同じ名字 Ащепков の名の知られた人物に、建築家・建築史家のエフゲニー・アンドレーエヴィチ・アシチェプコフ(Евгений Андреевич Ащепков、1907年ハルビン生まれ、1983年ノヴォシビルスク没)がいます3。この家族との関係は確かめていません。

これから調べること

推測父方の祖父母・曾祖父母の名前(名前・父称・名字)、生まれた年と場所、いつ・なぜラトビアへ移ったかを家族に伺い、記録で確かめていきます。父称は、一つ上の世代の名前を知る大きな手がかりになります。

父方(ウラル)母方(ラトガレ)土地と歴史資料のある場所

出典・資料

  1. Ощепков 百科事典 開く
  2. Ощепково (Свердловская область) 百科事典 開く
  3. Ащепков, Евгений Андреевич 百科事典 開く

資料の一覧は資料のページにあります。

この記事の用語

名字

名字

二つの名字

父方の Ascepkova、母方の Griškjāne(Griškjāns)。ロシア語・ラトビア語・ラテン文字の表記の決まりから、二つの名字がもとはどう書かれていたかを考え、家族の歴史を調べる手がかりを整理します。

Ascepkova と Griškjāne を読み解く

母方

母方

母方 Griškjāns の家

ダウガフピルスにゆかりのある母方の名字 Griškjāne(男性形 Griškjāns)。ラトビア語の名字の決まり、ラトガレの多様な住民と宗派、記録に残る書き方の揺れから、家の起こりを探る手がかりを整理します。

ラトガレの名字をたどる

土地と歴史

土地と歴史

エカテリンブルク

1723年にウラル山脈の東、イセチ川のほとりに建設された町エカテリンブルク。スヴェルドロフスクと呼ばれたソ連の時代を経て、父方の家ゆかりの町の歴史をたどります。

ウラルの町の三百年

土地と歴史

土地と歴史

ダウガフピルス

デューナブルク、ドヴィンスク、ダウガフピルス。13世紀の騎士団の城から、ロシア帝国の時代、ラトビアの独立まで、母方の家ゆかりの町の歴史と、記録を探すときに知っておきたい町の名の移り変わりをたどります。

ダウガヴァ川の町と名の移り変わり