土地と歴史

ダウガフピルス ― ダウガヴァ川の町と名の移り変わり

デューナブルク、ドヴィンスク、ダウガフピルス。13世紀の騎士団の城から、ロシア帝国の時代、ラトビアの独立まで、母方の家ゆかりの町の歴史と、記録を探すときに知っておきたい町の名の移り変わりをたどります。

編集部・2026年10月29日更新

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背景ダウガフピルスはラトビア第2の都市で、ダウガヴァ川のほとり、ベラルーシ・リトアニアとの国境に近い南東部にあります。町の起こりは、1275年にリヴォニア騎士団が築いた城デューナブルクです1。

背景1772年の第一次ポーランド分割で、ダウガフピルスを含むラトガレはロシア帝国に編入されました2。町の名は1893年にドヴィンスクと改められ、ラトビアの独立にともない1920年からダウガフピルスと呼ばれています1。

背景1897年のロシア帝国の国勢調査では、この町の人口の46%をユダヤ人が占めていました2。ポーランド人・ロシア人・ラトビア人・ベラルーシ人も暮らす、多くの言葉と宗派が交わる町でした。

推測記録を探すときは、時代によって町の名が違うことに気をつけます。ロシア帝国の時代の記録ではドヴィンスク(Двинск)やデューナブルク(Dünaburg)、ポーランド語ではドゥネブルク(Dyneburg)と書かれていることがあります。

父方(ウラル)母方(ラトガレ)土地と歴史資料のある場所

出典・資料

  1. ダウガフピルス 百科事典 開く
  2. ラトガレ 百科事典 開く

資料の一覧は資料のページにあります。

この記事の用語

名字

名字

二つの名字

父方の Ascepkova、母方の Griškjāne(Griškjāns)。ロシア語・ラトビア語・ラテン文字の表記の決まりから、二つの名字がもとはどう書かれていたかを考え、家族の歴史を調べる手がかりを整理します。

Ascepkova と Griškjāne を読み解く

父方

父方

父方 Ащепков の家

エカテリンブルクにゆかりのある父方の名字 Ащепков(Ascepkova)。ロシア語の書き方、近い名字 Ощепков と同じ名の村、同じ名字の名の知られた人物から、家の起こりを探る手がかりを整理します。

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母方

母方

母方 Griškjāns の家

ダウガフピルスにゆかりのある母方の名字 Griškjāne(男性形 Griškjāns)。ラトビア語の名字の決まり、ラトガレの多様な住民と宗派、記録に残る書き方の揺れから、家の起こりを探る手がかりを整理します。

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土地と歴史

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エカテリンブルク

1723年にウラル山脈の東、イセチ川のほとりに建設された町エカテリンブルク。スヴェルドロフスクと呼ばれたソ連の時代を経て、父方の家ゆかりの町の歴史をたどります。

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