調べ方

記録を探す ― ラトビアとロシアの公文書館の使い方

教会の記録、1897年の国勢調査、戦間期の旅券、強制移送の名簿。ラトビアの公文書館が公開している、名前で探せる記録と、父方・母方の家族を探すときの手順をまとめます。

編集部・2026年10月29日更新

この記事の表示:二次資料推測家族の証言表示の意味

二次資料ラトビアの国立歴史公文書館は、デジタル資料のサイト Raduraksti で、各宗派の教区の洗礼・婚姻・埋葬の記録や、1897年の国勢調査の記録を画像で公開しています。閲覧には登録が要ります12。

名前で探せる記録

  • 二次資料ラトビア共和国の住民の旅券(1918〜1940年)3
  • 二次資料国外へ送られたラトビアの住民の名簿(1941〜1953年)4
  • 二次資料ラトビア大学の学生(1919〜1944年)5

探す手順

推測まず、家族に分かる一番古い世代の名前・生まれた年・場所・宗派を集めます。次に、名前で探せる記録で、考えられる書き方(Ascepkova・Aščepkova・Ащепкова、Griškjāne・Griškjāns・Griskjans・Гришкян)を一つずつ試します。旅券の記録には生まれた年・場所・親の名前が書かれていることが多く、そこから教会の記録へとさかのぼれます。

推測父方のエカテリンブルクの記録は、ロシアの公文書館(スヴェルドロフスク州の公文書館)にあります。ラトビアへ移った時期と事情が分かれば、どちらの国の記録を探すべきかが決まります。

家族の証言見つかった記録は、ご家族の了解をいただいた範囲で、このサイトの資料・年表・家系図に足していきます。存命の方の情報は、ご本人の了解なしには載せません。

出典・資料

  1. Raduraksti(ラトビア国立歴史公文書館のデジタル資料)(Latvijas Valsts vēstures arhīvs) 公文書館 開く
  2. ロシア帝国の国勢調査(1897年)の記録(Raduraksti のコレクション) 公文書館 開く
  3. ラトビアの住民の旅券(1918〜1940年)(Latvijas Valsts vēstures arhīvs) 名前で探せる記録 開く
  4. 国外に送られたラトビアの住民(1941〜1953年)(Latvijas Valsts arhīvs) 名前で探せる記録 開く
  5. ラトビア大学の学生(1919〜1944年)(Latvijas Valsts vēstures arhīvs) 名前で探せる記録 開く

資料の一覧は資料のページにあります。

この記事の用語

名字

名字

二つの名字

父方の Ascepkova、母方の Griškjāne(Griškjāns)。ロシア語・ラトビア語・ラテン文字の表記の決まりから、二つの名字がもとはどう書かれていたかを考え、家族の歴史を調べる手がかりを整理します。

Ascepkova と Griškjāne を読み解く

父方

父方

父方 Ащепков の家

エカテリンブルクにゆかりのある父方の名字 Ащепков(Ascepkova)。ロシア語の書き方、近い名字 Ощепков と同じ名の村、同じ名字の名の知られた人物から、家の起こりを探る手がかりを整理します。

ウラルの名字をたどる

母方

母方

母方 Griškjāns の家

ダウガフピルスにゆかりのある母方の名字 Griškjāne(男性形 Griškjāns)。ラトビア語の名字の決まり、ラトガレの多様な住民と宗派、記録に残る書き方の揺れから、家の起こりを探る手がかりを整理します。

ラトガレの名字をたどる

土地と歴史

土地と歴史

エカテリンブルク

1723年にウラル山脈の東、イセチ川のほとりに建設された町エカテリンブルク。スヴェルドロフスクと呼ばれたソ連の時代を経て、父方の家ゆかりの町の歴史をたどります。

ウラルの町の三百年